国連JPO後の生き残り4 | 応募活動

      2020/01/16

前回までのおさらい

ブログ再開からの勢いで、3つほどJPOに関する記事をアップしました。ちょうど今年のJPO試験の事前登録が始まっており、タイムリーに記事がアップできて良かったです。具体的には以下の記事を載せてきました。

実際どう生き残ったのか

厳密に言うと派遣された機関には残ってないので生き残ってないんですが、別の国際機関で正規職員のポストを得ましたので、生き残ったということで勘弁してください。ここまで読んでどう生き残ったのかも気になる方もいるかと思いますので、私のJPO2.5年かけての応募活動も紹介していきます。私の場合、諸事情により日本政府支援でのJPO3年目が直前で駄目になりましたので、JPO2年半での記録となります。この記事を書くインスピレーションになった畠山さんのNoteの記事の中でも言及されていますが、この国際機関への応募実績というのが3年目を支援すべきかの判断の際に非常に大事になりますので、JPO1年目からガンガン応募していくことをお勧めまします。

応募当時のスペック(2015年〜2017年)

JPO始めたときに年齢30歳、語学は英語とスペイン語、学歴はアメリカの大学卒業・大学院修了、職歴は、中米でボランティア活動1年、モザンビーク、NZの日本大使館でそれぞれ1年半と2年の勤務経験。応募したポストの大半は防災、気候変動関連でした。今振り返ってみると、 ちょうどパリ協定が締結されたタイミングだったので、気候変動分野は比較的でていた時期なのかもしれません。国連以外にもMDBsなども積極的に応募してました。

応募履歴

  • 2015/03 UNDPコソボ事務所に赴任。
  • 2015/08 UN Secretariat | YPP —> 筆記試験落ち
  • 2015/12 UNEP P2 —> 書類落ち
  • 2016/01 World Bank | Mid-Career (GF) —> 書類落ち
  • 2016/02 World Bank | JPO —> 書類落ち
  • 2016/03 Asian Development Bank | YPP —> 書類落ち
  • 2016/04 UNISDR | P3 —> ポスト削減
  • 2016/05 UNFCCC | P3 —> 書類落ち
  • 2016/05 UNU | P3 —> 書類落ち
  • 2016/05 Green Climate Fund (GCF) | IS1 —> 書類落ち
  • 2016/06 UNFCCF | P3 —> 書類落ち
  • 2016/07 UNDP | P3 —> 書類落ち
  • 2016/08 IRENA | P2 —> 書類落ち
  • 2016/10 IRENA | P3 —> 書類落ち
  • 2016/11 UNFCCC | P3 —> 書類落ち
  • 2016/11 UNDP | P3 —> 書類落ち
  • 2016/11 UNDP | P3 —> 書類落ち
  • 2016/11 GCF | IS1 —> 面接落ち
  • 2016/12 UNDP | P3 —> 面接落ち
  • 2016/12 UNDP | P3 —> 書類落ち

このあたりで、コソボ事務所での延長も難しいことがすでにわかっていたため、このままではJPO後のポストどころか2年目終わって無職になってしまうという焦りから、国際機関以外の組織を受け始めます 。

  • 2017/01 環境省 | 任期付職員 —> オファー
  • 2017/02 JICA | ジュニア専門員 —> 辞退
  • 2017/02 JICA | 専門嘱託 —> 面接落ち
  • 2017/02 PASONA | 国際実証事業関連ポスト —> こちらの事情で散々待っていただいた挙げ句、結果的に辞退

このあたりで一悶着あり、もらっていたオファーを辞退することに。しかも大人の事情でJPO3年目はUNDPが準備した資金で半年のみとなり、それは約束が違うと言うUNDP側からも辞めてくれという感じにプレッシャーを受け、非常に難しい立場に立たされました。ここらへんの事情はまた気が向いたらアップしようと思います。GCFは国連と違い3年契約をオファーしていることから、ここからはもはや完全にGCF狙いとなりました。

  • 2017/04 GCF | IS1 —> 書類落ち
  • 2017/05 GCF | Consultant  —> 面接落ちしたものの、他のポストのオファーを受ける
  • 2017/05 GCF | IS1 —> 書類落ち
  • 2017/05 GCF | IS1 —> 書類落ち
  • 2017/07 UNDPを退職し、GCFでコンサルタントとして働き始める
  • 2017/09 GCF | IS1 —> オファー

私の場合、国際機関のみに絞れば23敗、1不戦勝という感じでした。負けのうち、UNDP在籍時に面接までいったのが3ポスト。そのうちの1つで、このポストはダメだったけど別のポストを受けないかと誘われたGCFから勝ちを拾ったという感じです。しかし改めての書類選考、面接などがないままオファーもらったので不戦勝としています。

結局私は、不戦勝でローカル待遇のコンサルタントのポストのオファーを受け、JPOという手弁当ながらも正規職員のポストから福利厚生なしのコンサルタントになることに非常に悩みましたが、いろいろリサーチしたところ、当時GCFはかなり手広く職員を採用していており、また既にコンサルタントとして働いている人を積極的に職員として登用しているという情報も仕入れたので、例えローカル待遇でも中に入ればチャンスはあると思い、リスキーながらもこのポストでGCFに行くことを決めました。

結論:挑戦しないでの後悔は大きい

ちなみに私の決断を後押ししたのは、Amazonの創業者であるジェフ・ベゾス氏の言葉でした。

I knew that if I failed I wouldn’t regret that, but I knew the one thing I might regret is not ever having tried.

"The Regret Minimization Framework: How Jeff Bezos Made Decisions" by Aly Juma

これは今でもその通りだと思っています。思い切って挑戦した結果失敗した場合の後悔と、挑戦すらしなかった場合の後悔を比べると、やっぱり前者のほうが納得いくと思うんです。あのときこうすれば良かった、という類の後悔が一番悔いが残るかなと。

案の定、コンサルとして仕事を始めたとき既にかなり多くの職員のポストが公募されており、その中の一つが自分がやっている業務内容そのまんまだったので、コンサルとして仕事しながら自分にその業務ができることを証明し、無事に職員ポストを得ることができました。上司にも恵まれ、あのときローカル待遇だったけどGCFへいく決意をして本当に良かったなと今でも思います。 逆にあのときUNDPに半年残って、契約の終わりに何も次がない状態であったら、なんでGCFへ飛び込まなかったんだろうと後悔していたと思います。

なので、見方によっては、あのとき日本の組織に行かなくて良かったとも言えます。それはそれでまた別の道があったとは思いますが、自分の決断に今でも後悔はないし、むしろ厳しい道だったけどそれを乗り越えることで一回り成長できたような気がします。この記事を読んでる方も、キャリアに関する決断というのは人生の中で非常に大きなものですが、後悔のないように意思決定してください

 - International Development, Job Hunting, JPO, UN , , , ,