楽毅名言集

   

前回に続き、宮城谷昌光氏の「楽毅」から心に残った箇所を書き残しておきます。太字は特に気に入ってるもので、一部はツイッターでも紹介しました。

第一巻から(ページ数)

つまり明るい想像は、その想像に固執すると、暗い妄想に変わりかねない(127)

一城の守将の心をつかめば、やすやすとその城は手に入り、一国の君主の心をとれば、おのずとその国はころがりこんでくる。人心を得るほうが利は大きいのである(144)

真の名君は、臣下に聴き、臣下を信じ、臣下をうやまう人である(275)

驕る者は人が小さくみえるようになる。同時に、足もとがみえなくなったことに気づかない(290)

めくばりは自分にもおこなわなければならない。それが内省というものである。人は神ではない。万能でなく、人格も完璧ではない。むしろ欠点のほうが多い。その認識から発して、徳望の高みに一歩ずつのぼってゆく努力をしなければならない(336)

この世で、自分が自分でわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希って(ねがって)いるのかもしれない(407)

第二巻から

好悪があきらかであることは、正直であるというより、精神の幼さを意味している。あるいは人としての弱さもそこにあり、自立するという真の意義を理解していない・・・(中略)・・・孤独をつらぬくには勇気が居る。まったく援助を得られない立場に身を置いてみて、はじめて自己と他者というものがわかる。自分で考え、自分で決断し、自分で実行する。これほど勇気を必要とすることはない(257)

天は高いので、みずからおごりたかぶれば、それだけ天に近づくような錯覚があろうが、実際はそうではない。辞を低く腰を低くした者こそ、あるいは天からもっともはなれたところにいる者こそ、天の高さがわかり、天の恐ろしさも恵みもわかるだけに、天佑を受けられるのであろう(273)

なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。わしは聖人でも非凡人でもない。人並みの困難を選ぶだけだ(284)

郊昔よ、時にはさからえぬ。春には種を播き、秋には収穫する。人にも四序というものがあり、冬に開花と結実とを望むには、むりというものだ(291)

ひとつわかることは、こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。人が戦うということは、おのれと戦うということであり、勝つということは、おのれに克つということにほかならない。なんじは、おのれに負けているよ(291)

第三巻から

ことばには魔力がある。自分の口から吐いたことばは他人を縛るばかりか、自分をも縛るようになる。いわば、自分を自分で空想するようになる。真理や真相を究明しなければならぬ者は、多言をきらう。人生を戦場と考えても、それはあてはまるであろう(63)

まえをみすぎれば足もとがおろそかになる。足もとをみすぎればまえがおろそかになる。人の歩行はむずかしい。目的がなければ努力をしつづけにくい。が、人が目的をうしなったときに、目的をつくるというのが、才能というものではないか。平穏無事を多数とともに満喫して居るようでは、急変の際に対応できず、人の生命と財産を守りぬけず、輿望をあつめることはできない(103)

死はとりかえしがつかない。生きるということは、とりかえしがつくことである。死が美しいのであれば、多数の死者を出して敗れることが美しいことになってしまう・・・(中略)・・・楽毅は戦って死ぬことを考えない。戦って生きるのであり、生きるために戦うのである。戦いは進退がすべてであるといってよい。それゆえ、生きることも進退なのである。美しさがあるとすれば、進退にこそある。その進退を生死にすりかえてしまえば、人はおわりであり、あえていえば、死ぬまえに死んでいる(189)

「なぜ」という問いが、実生活の中から生じなければ、知恵は身につかない(298)

第四巻から

楽毅の前途はけっして明るいとはいえない。が、孤祥はつねに夫のかたわらにいることと、五歳の子を手の届くところにおいていることに、満足をおぼえているらしく、すこしも暗い表情をしなかった。楽毅はこの妻の表情をみて、ふしぎな感じをいだいた。ふしぎというのは、女は男とちがう環境にあるがゆえに、人生にたいする観照がおのずとちがい、当然、そこから隆起する展望もちがうということである。孤祥はかしこいので、夫が冥昧にさまようとき、おなじ冥さに染まっていては、この道に光をもたらすことはできないと考えているかもしれないが、孤祥のありようはそれだけではない(16)

信念をつらぬこうとして、しかもその信念を虚無に堕とす宿命といってよい時の深淵をのぞきみた者しか、声をあげて泣くことはできない(79)

人というのはふしぎな精神の働きをもっており、他人を侮蔑すると、感情の濃度が高くなりすぎて、精神の働きを鈍化させ、人としての成長をとめてしまう(119)

静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するように、人は死ぬ(123)

失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある(170)

雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏みださねば、山頂は近づいてこない(177)

誤っているからみむきもしないのではなく、誤ったわけをつきとめることで、おもいがけない真実につきあたることもあるのではないか(306)

わかるということは教義心身におさめることで終わりではなくて、挙措進退に、日常と非常に、活かすことでなければならない。まずそれを知ることから人の深化がはじまるといってよい。軽々しい理解のしかたをする者は、おのれの深化のための端緒をつかめないまま、時勢にながされてゆくだけたろう(341)

家族だけのことを考えて生きてゆけば、おだやかでよいかもしれぬ。しかし、それだけの人生だ。他人(ひと)をおもいやり、他人の心を容れて、他人のために尽くせば、自分だけでは決して遭うことのできぬ自分に遇える。どちらがほんとうの自分か、ということではなく、どちらも自分であり、あえていえば、自分と自分との間にある全てが自分である(483)

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